誰が言ったかではなく、何を言ったか。

こんにちは。内藤です。

今回は割と多くの人がうっかり見落としてしまいそうな話題についてです。

すごい人や尊敬する人の言葉は耳に入ってくるけど、
苦手な人の言葉はあまり話を聞きたくない
そんな風に感じることはないでしょうか?

僕らは人間ですから、
どうしても尊敬する人の言葉を
優先しがち
です。

ですが、最も重要なことは、
必ずしもそこにあるとは限りません。

今回のタイトルのように、

「誰が言ったのか?」

ということに意識を置くのではなく、

「何を言ったのか?」

という部分に意識を置きたいものです。

例えば、誰かが自分に対して
ちょっとした指摘をしてくれた、
としましょう。

その人が、生理的に苦手な人であれば、
あまり素直に聞き入れたくないかもしれません。

しかし、それでは、
その苦手な人しか見えなかった改善点を
改善するチャンスがなくなってしまいます。

それは、少しもったいない、と思うのです。

仮にもし
こーいうことをしてしまう人がいたとすれば、
かなりの確率で、日常的に似たようなことを
やってしまいがちなので、注意をしていた方が
良いかもしれません。

人間は、自分よりもすごい人、
例えば、
自分よりもお金を稼いでいる人だったり、
実績を持っている人だったり、
有名人だったりすると、

どうしてもその人の発言自体を信用しがちです。

これ自体は決して悪いことではありませんが、
もし、そんな人たちの言葉しかあなたに届かないとすれば、
かなり勿体無い
と思うのです。

周囲には、上司がいるでしょうし、
後輩だっているはずです。

友人だっているかもしれませんし、
過去にお世話になったバイト先の仲間もいるかもしれません。

彼らの言葉もまた、
時にはあなたの現実に大きなヒントと
なる言葉になることも多いにあります。

以前、VtuberのキズナアイがTV番組に
初出演して、芸人と一緒に話をしている、
ということがありました。

僕はあの番組を見て、
ちょっと残念に思ったのでした。

初出演した時は、まだVtuberがネット上で人気であるだけで、
TVの中の芸人たちからすれば、

“よく分からないもの”

という感覚で、キズナアイがきちんとした
コメントをしているにもかかわらず、番組自体の方向性は、

“彼女をイジる”

という感じでした。

番組の方針だったのかもしれませんし、それが一番ウケがいい
という判断だったのかも知れません。

僕が見た印象では、

“話を聞く気がない”

という感じでした。

これと同じようなことを、
僕らはもしかして知らず知らずのうちに
やってないだろうか、というのが今回のお話です。

例えば、
子供の話だから、話半分に聞く
そんな馬鹿な話はありません。

子供だからとか、
頼りない上司だからとか、
知識がない人だからとか、
そういう肩書きは、本来、話を聞く上では、
あまり重要にはなりません。

もちろん、文脈には前提があるからこそ
発言の意図や経験や実績からくる説得力
も丁寧に汲み取りたいわけですが、

「肩書き」で、話を聞かない、
なんていう選択肢は違う
はずです。

そういう意味で、
僕は実績を出すかどうかの判断を
状況に応じて変えています。

実績があった方が話がスムーズに
ことが進みそうなら出しますし、

実績が邪魔で話が歪みそうなら
出しません。

・いくら稼いでいるか、だとか

・どんな映像を作っているか、だとか

で、話を聞かなくなるような人は
そもそもどこに言ったとしても、
都合の良い話しか取り入れない
ものです。

そういう意味で、仕事なら実績は大いに出すでしょう。

なぜなら一緒に仕事をする人たちは
僕が過去、どんなことをやっていたか?
を見て、仕事をお願いするかを決めるから
です。


さて、少し話が変えますね。

“コンテンツビジネス”

という言葉を知っているでしょうか。

簡単に言えば、”教育ビジネス”なのですが、
自分が持っている知識や経験、
価値観をわかりやすくまとめ、
それを伝えて自分の価値観にあう人に
ビジネス(商売)をやっていく、

というものです。

そこで言われるのは、

「内容はなんだっていい。誰が語るかが重要だ」

みたいなことが言われます。

その説得材料として、

好きな先生の授業なら聞きたいが、
そうではない先生の授業は受けたくないのと同じ

という説明をされたりもします。

これは要するに、今回の話で言えば、

「何を言ったか、ではなく、誰が言ったか」

なんていうものです。

確かに、その人が持つ経験は、
その人しか体験できなかったことで、
そこに共感をうみ、人が集まるでしょう。

そしてこの方法論は今の時代正しい、とも言えます。

理由はシンプルに、冒頭に出した話のように、
多くの人が、

「何を言ったか、より、誰が言ったか」に
フォーカスすることが大前提だからです。

しかし、この話はビジネス上
都合の良いポジショニングトークにも
なり得たりもします。

「自分自身の成長」

という視点で見た時は
そんなことを僕はときには言えない場合もあると思っていて、
共感できる人間の意見しか聞かない
あるいは、すごそうな人の意見しか聞かない
というのは、機会損失になりうる、

とすら考えています。

以前、X(まだtwitterだった頃)にこんな話題を目にしました。


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絵の相談を乗って欲しいという
若者がいたので、話に乗りました。

彼は、ある有名なゲームの絵師さんくらいの
人になりたいんだ!ということで熱く語ってきました。

せっかくだし僕も絵を描くし、
アドバイスをしようかな、
と思い、アドバイスをしたところ、

若者はあまり真面目に聞いてくれませんでした。

ちょっと悲しくなりました。

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(文面はそのままではなく、思い出しながら書いてます)

結局、その時は、それで終わったようですが、
後日、その若者から再度こんな話が出たそうです。

「なんで、あの絵師さんだ!って言ってくれなかったんですか!」

つまり、相談に乗ってくれた目の前の人は
憧れのゲームの絵師さんだった、という
ものすごく滑稽な話です。

勿体無いですよね:笑

ということで、

「僕の話を聞け!」

でもないですし、

「すごい人の話は聞くな!」

でもないんです。

いろんな人の話をフラットに聞いて、
自分の頭の中で考えて、

「必要なものだけ、自分の中に取り込めば良い」と

僕は思っています。

だって、よく考えてみてほしいんです。
これまで生きてきて、自分だけが一番自分との付き合いが長いわけです。

それは僕でもないし、すごい人でもないはずです。
親だって、ずっと見てきたわけじゃないはずです。

さすがに内面まではわかりませんよね。

自分が過去どんなことをやってきて
どんなことでつまづいて、
どんなことが得意で
どんなことでテンションが上がって
そんな細い自分だけの歴史を知っているのは
誰よりも自分自身です。

ですから、第三者が

「こう言ったからこうだ!」

なんてものが必ずしも自分に当てはまるとは限らないわけです。

以前、現実創造の話を解説しましたが、
現実は自分が込めた意図と行為によって創造されます。

つまり、これは主観をどうやって生成するか?という話で、
物質生成は主観をもとに生成される、という話です。

ということは、客観が先ではなく主観が先である、
ということもできます。

なのであれば、後から生成されている外の情報ではなく
内面にある違和感や調和している感覚をあらゆる起点にして
考えた方がより良い、と僕は捉えています。

好き嫌いはしても良いと思うんです。
でも、一旦、人の意見には耳を貸し、
最終的に採用するかは自分と相談して決める

これが最も重要なことだと僕は思うのです。

一旦人の話を聞くためにも、僕は

「誰が言ったか、ではなく
何を言ったか、にフォーカスしてほしいな」

と思っています。

これができないと、
いろんな罠に、はまるかもしれません。

ということで、
僕の話もほどほどに:笑

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