現実は何からできているか?

どうも、内藤です。


今回は現実創造のメカニズムを解説していきます。

何回かに分けて説明することになりますが、
中身はシンプルです。

実はこの話、先輩に教えてもらった内容で、
僕なりに理解できた範囲で解説していきます。

理屈でわかっていたとしても
体感でわからなければ、
本当の意味で理解したということにはなりませんが、
断片的でも良いので、その知識を共有していきます。

「現実創造のメカニズム」というと
ピンとこないかもしれません。


この話は自分の現実に起きている悩みを
解決するために必要な知識であり技術
です。


しかも例外はありません。


万人に対して有効ですから、
世間一般に言われる”法則”の類ではなく、
原理です。

ですから、これがわかっていなければ、
自分で意識的に悩みを解決することはできません。

もし悩みを解決できたのであれば、
それはたまたまやっていたことが
結果的によかった、ということに過ぎないと、
僕は理解しています。

また望むものと手に入れていくためにも
必要な話です。


ちなみにこの話は
仏教で説明される概念の
「空」の裏側のメカニズム
ということもできるかもしれません。


ですから、これを理解でき、
厳密に管理することができるのであれば、
自分の悩みを自由になくすことができ、
また欲しい現実も3ヶ月もあれば、
目の前に実現することができます。

本題に入っていきましょう。

現実が何からできているか?
を考えたことはありますか?

普通ないですよね。

僕は考えたことはありませんでした。

人の主観は人によって違う、
という理解はよく聴きますし、
それは事実です。


「現実は何からできているか?」


なんて聞かれても、
せいぜい、


「え?物でできてる?」


みたいな理解でしょうか。


これが理解できれば、
自分の常識が文字通りひっくり返るはずです。

僕はひっくり返りました。

僕もまだ道半ばですが、
断片的に理解できた時に、衝撃を受けました。


そして、
望むものを手にいられる技術だからこそ、
使いこなしたい
なとも思ったんです。


物事をよくしていくためには
その物事が何からできているのか?
を理解することはとても重要です。

例えば、カレーを作りたいのに、
カレーが何からできているか?がわからなければ、
美味しいカレーを作ることができないように、


現実が何からできているか?がわからなければ、
現実に起きている悩みを解決し、
望む現実を生きることは難しい
のです。


だから、現実が良くなっているのであれば、
よくわからずにやった行為が悩みの解決に貢献し、
希望に繋がっていた
のでしょう。

この世には偶然はないようです。

これは物理学で証明されていることのようで、
一片の狂いのない
完璧な秩序によって成り立っている、
とされています。

だからこそ、これを理解でき
厳密に実践できれば、
すべてを必然として欲しい結果を
手に入れるということになります。

しかし残念ながら、
巷で出回っている成功法則は、
“法則”でしかありません。

つまり、条件を満たした時だけ、
効果のある片手落ちの手段

と言えるのではないでしょうか。

大抵、語られる成功法則は、
その人がうまくいった方法です。

そういう法則ではなく、
原理を抑えていけば、確実かと思いませんか?

では、
現実は何からできているでしょうか?

いきなり答えを書きますが、

現実は過去の記憶でできています。


現実が過去の記憶でできている、
と言われて、すんなり理解できますか?


なかなか難しいかもしれませんが、
これは事実です。

聡明な偉人も、犯罪を起こした凶悪犯も、
どこにでもいるサラリーマンや主婦も、
あなたも僕も
目の前に与えられた現実は、
すべて過去の記憶でできています。


僕らはそれぞれ違うように生きて
記憶してきましたから、
目の前に与えられた現実は、
一人一人異なる
んです。


つまり、これまでに見たことも、
聞いたことも、触れたこともないことは、
現実として認識できない
んです。


認識できないのですから、
気づくことはできません。

ここまで読んで、
ピンときた人もいるでしょう。
この話は、主観の話です。


主観だからといって
物理的な関係性がないというわけではありません。


むしろ、
主観からすべての物質は生成されています。

この話は今回は詳しく触れないので、
別の回にしましょう。


よく「人によって主観は違うから感じ方も違う」
そんな話を聞いたことがあるでしょうが、
まさにこの話です。


ですから、過去に怒ったことがない人は、
怒られる、という現実を認識できません。


ピンとこないかもしれませんが、
子供を育てたことがあれば、
理解しやすいと思います。


まだ赤子の0歳児にいくら怒っても、
キョトンとしていることが多い
ものです。

もし泣いたとしてもそれは
怒られているからではなく、
単に音がうるさい、
強い刺激があったとか、
不快だという理由
です。


実際、娘が1歳の頃、
触るととても困るものを触って遊んでいて、
怒ったことがあるんですが、
むしろ笑われて、
もっとひどいことになった
ことがありました:笑


怒ったことがなければ、
怒られるという現実は認識できない
のです。


いくら怒られても、
怒られている現実が認識できないわけですから、
親としても怒るという手段が
意味をなさないことを理解するんですよね。


もちろん、子供は成長していく過程で
怒るという感情を自分で生み出していきます。


もっといえば、
その怒るという感情を作り出した後、
親を真似て、どんなシーンで怒るとベストなのか?
を見ることで、その手段を採用
します。


実際に親が怒っているシーンを
自分で真似ることで、同じシーンで、
自分も怒るということをやり始めます。

そうやって自分で怒るから、
ようやく自分が親から怒られている、
というのが認識できる
んです。


これがどういうことを意味するか、
わかりますか?

僕らの現実は、自分がやったことしか、
相手から受け取れない
んです。


もうちょっと理解しやすい言葉に変えると、
僕らが感じている主観は、
自分が相手に向けて過去にやった想いの総量を、
相手から感じ取っている
ようです。


少しわかりやすい例えをしましょうか。


上司から仕事で、
「これってどうなってるの?」
と質問されたとします。


その上司は優しいというよりは
どちらかといえば、ロジカルに物事を考え、
若干冷たい感じで、無表情で
仕事の成果を求めていくスタンス
に見えます。


社内チャットでも、
絵文字なんて使うイメージもなく、
ぶっきらぼうに

「この資料について説明してください」

みたいな感じで、通知が来る、
みたいな状況を想像してみてください。


さてそんな上司が

「先日の資料、わからないから説明して欲しい。」

と言ってきたとします。


あなたはふわっと抽象的に説明をして、

上司はそれに対して

「もっと具体的に教えて欲しい。例えば?」

と聞き返したとします。

ここであなたが何を感じますか?


ここでもし上司から

責められているとか
攻撃されているとか、
馬鹿にされているとか

そう思ったのだとすれば、
あなたは普段、逆の立場の人に、
つまり、後輩や自分よりも立場が下の人に対して

過去同じことをやっている
はずです。


そうでなければ、
あなたはそんなことを上司から感じ取らないからです。


もしかしてその上司は、
部下が心配で心配で仕方がなく、
話しかけていて、
でもどう話しかけたらいいかわからないから、
迷った挙句、言葉足らずで話をしてる可能性もある
わけです。


でも上司という立場だから、
部下に情けない背中は見せられないし、
絵文字なんて使ったら馬鹿にされると思って、
使いたくても使えないかも
しれません。


にもかかわらず、
あなたが、一方的に、
責められているとか攻撃されているとか、
馬鹿にされているなんて思ったのだとすれば、
それは一体どこから生まれているのか?
という話です。


どういう時に、あなたは無表情な時なんでしょう?

どういう時に、あなたは言葉に絵文字がないんでしょう?

どういう時に、あなたは冷たそうになるんでしょうか?


今回、わかりやすく
ネガティブな事例を書きましたが、
ポジティブなシーンでも同じです。


例えば、友人から誕生日に
ささやかなプレゼントをもらって、
めちゃくちゃ嬉しかった
とします。


その友人は普段から付き合いのある人で、
いつも気を遣ってくれるけれど、
ちょっと頼りないところもある。

だから自分がつい心配してしまうのだけれど、
先日そんな心配をする余裕もないくらい
仕事で大きな失敗をしてしまって、
凹んでいた
とします。


その時に、ちょっとしたメッセージと
普段もらわない誕生日プレゼントを
友人からもらって、とても嬉しかった、

というシーンがあったとします。


この時に、とても嬉しかった、
という喜びの総量は、
あなたが誰かに余裕がない時に気を使って
寄り添った想いの総量に比例しています。

これがもし、普段、気も使わない人で、
むしろ、ひねくれていて


「気を使っている人が偽善者だ」

と思っている人が、
同じように仕事で失敗して落ち込んでいる時に、
ちょっとしたメッセージと
誕生日プレゼントをもらったとしても、

「普段あいつはプレゼントなんてくれないのに、
 自分に対していい顔したいから
 プレゼントをくれたんだ」

というように相手が偽善者と感じる、です。


僕らの主観は全部、
過去の僕ら自身の記憶に基づいて、
生成されています。


せっかくなので、
僕らの現実が作られる因果関係が
わかる図を紹介しましょう。
 



僕らの現実は過去の記憶からできています。

そして、その記憶は
どうやって作られるかというと、
僕らの想いで作られます。

想いというのは、意図と行為からできていて、
この意図と行為の総量(想いの総量)で、
どれだけ記憶されるのか?が決定されます。

この記憶によって、僕らの現実は生成され、
その現実を観測して、僕らは次の意図を決定しています。

意図というのは、
「なんのためにそれをやっているのか?」という
なんのためにの部分です。


先程の例でいえば、


上司に責められている、と感じているのであれば、
後輩に対して「責める」という意図で、
指示を出したり、問い詰めている行為
です。


友人からプレゼントを受け取ったときに、
嬉しいと感じているのであれば、
別の困った友人にプレゼントを渡した時に、
「心からよくなって欲しい」という意図で、
プレゼントを渡している行為
です。


同じ行為でも、意図が異なれば、
感じ方も変わります。

悪意を向ければ、悪意を受け取ります
善意を向ければ、善意を受け取ります。

行為そのものも重要ですが、
もっと重要なのは、意図です。

なぜならその意図の強さが、
想いの強さを決める
からです。


このメカニズムを理解すれば、
自分が受け取りたいものを相手に与える
という関係性が見えてくる
はずです。


逆に受け取りたくないものを相手に与えるなら、
不都合が現実は目の前にやってきます。


わかりやすく言えば、
相手から責められている、
と感じたくないのであれば、
どんな相手にも責めるという意図と行為をやめてください。

相手から攻撃されている、
と感じたくないのであれば、
どんな相手にも攻撃する意図と行為をやめてください。

相手から急かされている、
と感じたくないのであれば、
どんな相手にも急かすという意図と行為をやめてください。

相手から馬鹿にされている、
と感じたくないのであれば、
どんな相手にも馬鹿にするという意図と行為をやめてください。

相手から蔑ろにされている、
と感じたくないのであれば、
どんな相手にも蔑ろにするという意図と行為をやめてください。


これを厳密にできるのであれば、
3ヶ月もあれば、いま、感じていることは
すべて綺麗に上書きされ、なくなります。

厳密に、が大事です。

やった分だけ早く現実は書き変わりますが、
やらない分だけ現実はその分書き変わりが遅いんです。


「現実は鏡だ」なんてよく言いますが、
あれはまさにその通りで、
過去の記憶、つまり過去自分がやってきたものが
そのまま手の前の現象としてあらわれている
んです。


例えば
会社に嫌な人がいて、
苦手すぎてその人を回避するために
部署移動をしたとしても、
同じような人がいれば、
同じようなことが起きるものです。

なぜなら記憶を一切書き換えることなく、
違うところに移動しただけ
ですから、

似たようなパラメーターを持った人があらわれて、
同じような行動に出た時に、
同じように現実が再現するのは当たり前
なんです。


問題は解決されたわけではなく、
ただ先送りされただけ。


悩みがたまたま別の状況になって
見えなくなっただけで、
潜在的にはずっと存在している、
というわかりやすい話です。

さて、この仕組みが分かったとすれば、
あなたが悩んでいることは、
自分で解決できると思いませんか?


多くの悩みは、
自分が感じることへの対策がうまくいかずに、
何度も繰り返し起きてくる不快な現実です。


しかし現実は過去の自分の記憶から
生成されているものですから、
現実を変えたいのであれば、
自分の記憶を書き換えたら良い
のです。


記憶を書き換えるためには、
厳密にやっていく必要がありますが、
もし厳密に記憶を管理するのであれば、
3ヶ月もあれば、現実を変えていくことは可能
です。


僕らの記憶は、
すべて潜在意識に記録されています。


僕らの脳は、生まれてからずっと
五感から入るすべての情報や想いを、
取りこぼすことなく、
すべて潜在意識に書き込んでいます。

それはいま、この瞬間もです。

そして脳は、五感から入ってくる情報から
潜在意識に蓄積されている想いの記憶から、
一番最適な主観を再現して、意識化しています。


この主観を、僕らは、
自分の身に起こっている現実として認識しています。

潜在意識に書き込まれた
膨大な過去の記憶を参照して
現実を生成しているわけですから、
今やっている行為がすぐに
現実生成に書き変わっていかないのも理解できる

のではないでしょうか。

よく日頃の行いがものをいう、
という昔の言葉がありますが、
まさにそういう話です。

よき意図とよき行為がよき現実を作るのです。


またお天道様がみている、というのもこの話です。

つまり、隣の人も、周囲も、神様もみてなくとも、
あなた(自分)だけはあなたをずっとみてるんです。


良い行いも、
悪い行いも
すべて、自分だけはみている
んです。


だから、誰もみてないから
やってもいい、という発想は
自分自身にとって決して良いことではなく
最終的には時間がずれて
すべて自分の現実に反映されます。


人を呪わば穴二つ
という言葉がありますが
あれもこの話の通りで、

人を呪うと
呪った相手に対して、
直接的に影響があり、

呪うという意図そのもので
自分の記憶にも悪影響があり
現実に返ってくる
んです。


素敵な人生を送りたいのであれば、
自分が受け取りたいものを相手に与えましょう。

賞賛が欲しいなら相手に賞賛を
応援が欲しいなら相手に応援を
感謝が欲しいなら相手に感謝を

よくビジネスで言われる
「返報性の法則があるから先に与えよう」
という話とも繋がっていきます。


ただ、これも意図と行為ではなく
行為だけに留まるのであれば、

素晴らしい現実にならない可能性もあります。

つまり、返報性の法則を損得でやっている場合、
現実は損得をベースに作られる可能性があるから
です。


損得が入った状態で、
返報性の法則があるから
相手に与えよう、という行為をするなら、

生まれる現実は、

相手から与えられた時に、
この人は自分が得するから
わたしに何かくれるんだろうか?
と感じ始めます。


損得という意図
相手に与えるという行為
をするわけですから。

もしあなたが損得勘定で
現実を作りたくない、と思っていたとすれば、
返報性の法則を表面的に真似るだけでは、
望まない現実を作っている
ことになります。

多くの成功法則は、
「行為」を語られることがほとんどですが、
「意図」について語られることはありません。


もし返報性の法則を知っていたとしても、
純粋に心から相手に与えるのであれば、
誰かからもらった時は
心から相手がくれたという現実が作られます。


それが、もし相手が本当に
損得でくれたとしてもです。

だって主観は記憶で作られるのですから。


相手とコミュニケーションをとって
実は相手は損得でやってたんだと
知ることはあるかもしれませんが、
そんなことわざわざ聞くシーンの方が
少ないでしょう。

法則はどうしても片手落ちです。
一見正しそうに見えるものでも
ちょっとした落とし穴も多くあります。


だからこそ、現実創造のメカニズムを
正しく理解しその上で、
厳密にできるようになると、
望む現実を受け取れるようになるでしょう。

僕らは知らず知らずのうちに
この原理を活用して生きています。


これを狙った通りに
できるのであれば、
思い通りの現実を生きることができます。


ただ今は結果と原因の関係を理解せずに、
結果だけ見て良さそうな行為を闇雲にやっているだけ
なんですから。

目次

自分が欲しいと思う想いを相手に向けてみよう。

現実は過去の記憶からできています。


だからこそ、自分の記憶を丁寧に
厳密に管理していく必要があります。

とはいえ、そう簡単にできない、
というのも実際のところです。

多くの場合、これを提示してもうまく現実で
反映させていくのはかなり難しいでしょう。

実際、僕もかなり苦戦しています:笑

例えば、自分が責められている、と感じる時に、
相手を一切責めずに、
心から感謝する、なんてできると思いますか?

とても難しいですよね。


大抵は、そういう時、人は感情的になってしまうものです。

そして、人によっては、その瞬間に
反射的に何かしてしまうのです。

もし、相手から責められているというときに、
毎回のように、自分も相手を責めてしまっていたとしたら、

その瞬間に相手を責めるという意図と行為を
反射的に実行している
ということになります。

感情のコントロールができない人にとっては
この事実はかなり難しい
ことを示しています。

ですから、
この現実創造のメカニズムを知ったとしても、
これまでの反射を一旦止める、という
とても難しい行為に挑戦していく必要があります。

なぜならやめなければ、いつまで経っても
それが起き続ける
のです。


今回の例で言えば、「責められる」
という現実が生み出されるからです。

生み出しているのは自分自身です。
相手はただ、1つの現象にすぎず、
それを「責められている」というラベルを張っているのは
あなた(自分)自身ですから。

このラベルを張り替えないことには
現実は変えられないんです。


現実創造のメカニズムはとてもシンプルです。

植えた種は、時間差でかならず実になる
ただそれだけです。


先輩の言葉を引用するのであれば、

「柿の種を植えたら柿がなり、
桃を植えたら桃がなる」

んです。


柿を植えても桃がならないように、
責め続けても責められないという現実は
絶対に生まれません。


責められたくないのであれば、
まず責めることを止める必要があります。

つまり今、桃が欲しいと思って
柿の種を植えているのであれば、
まず柿の種を植えるのをやめて、
桃の種を植える必要があるんです。


だからまず悩みがあるなら、
その本当の原因(真因:悪因)となる行為を止めること
です。

そして欲しいと思う現実を生み出す
本当の原因(真因:善因)を始めること
です。

ただそれをわからずに、
闇雲に、感情の思うままに生きると、
これからも現実は今と同じでしょう。


今、現実になんの問題もなければ、
今のままで良いんです。


しかし不満があるのであれば、
メカニズムを理解した上で
やめること、新たに始めることを
しっかり抑えて行動を改めることが良いと僕は思うんです。


これができますか?

ぜひ一度考えてみてください。

これが僕らが日々できるようになっていく
トレーニングの1つです。

マスターできれば、
人生から悩みが消えるでしょう。

僕はまだ道なかばですから、
今、自分がどんな現実を作り上げているのか?
を注意深く観察しながら、日々を過ごしています。

ということで、今回は以上です。
ヒントになれば良いのですが。

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