仕事なら言いたいことをはっきり言おう。

こんにちは。内藤です。

このタイトルは賛否両論があるかもしれません。

ぜひ一度考えてもらえればと思っています。

僕はプライベートだと、
あまりはっきりモノを言わないほうだと思ってるのですが、
仕事になると、結構ズバッと言う癖があります。

これは、スイッチみたいなものなのかもしれませんが、
自分の中ではっきりと持論や反対意見などがある場合、
引っかかることがあれば、
相手の立場をあまり気にせずに、言うことにしています。

それが年上であれ、仕事の先輩であれ、上司であれ、です。

会社員時代でも、新人3年目の時に、
別の課の課長に(10年以上上の方)、

「それはおかしい」

とズバッと言ったこともありますし、
(同じ室の室長には笑われましたが:笑)

実験室に入ってきた役員クラスの人に、
「ルールを守ってください」
みたいなことを、さらっと言ってたりしました。

フリーランスになってからも、2年目くらいでしたが
僕よりも実力のあるビジネスマンに対しても
意見をよく言ってました。

日本人は「事を穏便に済ませたい」
ということを考えてしまいがちだと思うんですが、
僕はそういう発想はちょっと違うと思っています。

仕事の場合、個人という私情を挟まなければ、
今やっているプロジェクトに対してのみ、
フォーカスする必要がある
のであって、
それに対して率直な意見が述べられない、
というのは、妙な話だと思うのです。

「率直な意見を言わない」というのは、まるで、
「自分を養護するために、プロジェクトを犠牲にする」
という発想に近いもので、

いわば、自分のために他者を犠牲にする、みたいに
僕は捉えています。

だから、そういう人に出会うと
「うーん」と思ってしまうことはあります。


フリーランスになってから、経験したことですが、

「内藤さんはプライドが高そうだから、意見が言いづらい」

とか

「自分の方が経験ないから、意見が言えない」

という人に出会ってきたことがあって、
その時はハッとさせられたことがありました。

そういう見え方になってしまっていたのは、
確かに僕に非がある
なぁ、と反省したものでした。

僕らは感情的な生き物なので、誰かと議論をするときに、
どうしても

「恥や間違いを犯したくない」

「バカにされたくない」

という発想がでてしまうものです。

それは仕方がないものだとも思ってます。

いろんな背景の人がいて、価値観の人がいますから、
ちょっとしたことで傷ついてしまうこともあるでしょう。

僕もそういうのが一切ないわけではないですし
気持ちがわからないわけではないんです。

だから、そうならないように

「作ってはいけない壁を作らないような環境づくり」

をすることも重要だと思います。

僕はつい人の気持ちに寄り添えない時があるので、
なるべく僕は「関わるメンバーとしてどう接するか?」
ということには意識においてる部分です。

ですが、それでも
プロジェクトやテーマに対して
「はっきりとモノを言わない」
という発想は避けたいなぁ
と思うのです。

もちろん、言い方みたいなものもあるとは思うので、

「どう言うか?」

みたいなことも大いに関係はするかと思います。

でも、やっぱり、そういうのは
周囲が優しくしてくれないとかではなく、
寄り添ってくれないから、とかではなく、

ただそのプロジェクトに対して
真摯に向き合うと思うのであれば、
自然と出てくるもの
だと思うのです。


関わる全員がプロジェクトのことだけを考え、
よりよいものにしていこうという意識でいれば、

例え反対意見でも、個人そのものに
フォーカスしてないことは、わかりきっている
はずです。

だから、僕は敵対心を抱くこと自体が
何かおかしい
と思ってしまうんです。

ただ残念ながら、
この世界には言葉の表面だけをみて判断する人は多いものです。

プロジェクトや成果物をよくしようとしている仲間が
反対意見や否定的な意見をしただけで
あるいは、ちょっとドラスティックな言葉を使っただけで

「人格を否定された」

「雑に扱われた」

と感じて、仕事であるにもかかわらず、
相手への敵対心を持ったり仕事のパフォーマンスに影響がある。

でもそれは、そう感じるのは、
自分がこれまで作り上げ、積み重ねてきた
現実の結果、そうみえること
です。

それを、今この瞬間、
プロジェクトを最高にしようとしている人に対して
向ける理想の姿ではないと思うのです。

僕らは感情的な生き物ですが、
仕事をやっていく上で、負の側面につながる
感情の出どころをきちんと特定して、
その上で、うまく目の前のプロジェクトに対して昇華していくか?


それが社会人として、プロとして
真摯に向き合う仕事のあり方
なんじゃないかと
僕は考えています。

あのピクサーも「ブレイントラスト」という、
はっきりと問題点を率直に述べる場があり
そのお陰でよりよい作品づくりができている

と言われています。

黙ってれば、問題が起きない

黙ってれば、争いは起きない

なんでもオブラートに包めば、丸く収まる

確かに、その瞬間、問題は起きないかもしれませんし、
争わないかもしれませんが、
プロジェクトとしてみたら、大きな問題を抱えたまま、
後行程に行くことになります。

僕は会社員時代、こういうシーンに
よく出くわしていたので、
気づいた時にはなるべく早く情報を共有するが鉄則
だと思ってます。

それが結果的に、周囲や関わる人、
もっと言えば、エンドユーザーへの被害を食い止められるんじゃないか。

そういうことを想像できずに、
ただ自分のことにフォーカスを置いている
人はちょっと違う
と僕は思ってます。

これは

「見て見ぬフリをする」

という行為と一体何が違うんでしょうか。

無責任と何が違うんでしょうか。

仕事、ビジネスとは、
お金というコストがかかり、
時間というコストがかかり、
人というコストがかかり、
設備というコストがかかってきます。

いろんなもののコストの上に
その仕事が成り立っているのに、
そういう部分を想像できない人が一定数いるような気がします。

自分の一時の楽の裏に、実力のある誰かが
割を食っている状況に気づかず
そういう振る舞いをしているとなると、
それは素晴らしい姿と言えるのか、と思ってしまうんです。

それは果たして誠実なのか。

仮にその後行程で自分が関わらないなら、
これほど”ひどい仕事の仕方”はないと僕は思うんです。

そういう意味でも、
立場が上になってしまいがちな人は、
如何にそういう

「ひどい仕事をさせない環境づくりをするか?」を
常に意識する必要がある
と思いますし、

逆に立場が下になりがちな人は、臆せずに

「プロジェクトのために意見を言う」

「後行程のために意見を言う」

というスタイルをとりたいものです。

僕は仕事において、
上も下もないと思ってます。

昨今、いう側の話にばかり取り上げられていて、
まともにクリティカルシンキングができる場が
減ってきているじゃないか
と思うのです。

だから、なかなか難しいんですが、
そういうズバッと言える環境づくりをしていきたいなぁ、とは
よく思います。

プロジェクトメンバー全員で。

ホワイト社会と言われる今の時代、
こういう発想は、もしかして老害的な意見なのかもしれませんが。

でもいいもの作るには、大事な発想だと思うんです。

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