わかるとはどうなることか?

どうも、内藤です。


今回の話は、
自分の限界の範囲そのものについてのお話です。

この言葉の精度こそが
自分のできる範囲を決めているとも言えます。

仕事ができない人ほど、
この精度が極端に低く、
“つもり”になっている
傾向にあります。

だからこそ、
この精度をどれだけあげられるか?
実は大きな意味があり、
これこそがクリエイティブな活動の源になっています。


早速始めていきましょう。

僕らは日常的に
「わかる」という単語を使っていると思います。

友人と話をしていて、
あるあるネタや悩みを聞き、共感できれば
「わかるわかるー!」
といってたりするでしょうし、
仕事でも先輩からこれやっといてと言われたら
「わかりました!」
といってたりするものです。

わかるという単語は、
どんなシーンにも使われます。


女性性の強い人であれば、つい共感できたら
「わかる!」
という単語を使ってしまう
のではないでしょうか。


僕もわかるという単語は馴染みのある言葉です。

流石に1日どれくらい使っているか?は
計ったことはありませんし、
わかったとは言わないものの、

わかったというニュアンスで
「はーい」
みたいセリフは使ったりするものです。

しかし、「わかる」とは何か?と問われて、
「これですよ」
と言語化できる人はどれくらいいるでしょうか?


もっと言えば、1度「わかった」と言った後に、
「本当に?」と問われたとき
自信を持ってもう1度「わかった」と
即座に言えますか?


おそらく多くの場合「本当に?」と問われて、
自信を無くす方がほとんどではないでしょうか。


実はそれくらい
「わかった」
と発言する時の精度はとても粗い
のです。


では、一体、僕らはどうなったら
「わかった」と言いたくなるのでしょうか。
どうなることを「わかる」と言ってるのでしょうか。


ぜひ本日はここを一緒に、
意識化していきましょう。

答えです。


「わかる」とは、
「ひとりでできる」ということ
です。


この定義は、
特に仕事の時や誰かから依頼をされたときに、
言う「わかった」だと思いますから、
もうちょっと別の表現の方が
しっくりくる人も多いと思います。

なので、別の表現も共有しておきましょう。

わかるとは、イメージ(想像)できることです。

道を教えてもらって、
1人で行くイメージ(想像)ができたのであれば、
「わかった」と僕らは言うのです。


誰かと話をして共感ができた、と言う時、
想像できるからこそ「わかる」と言うのです。

だから、1人で行く想像ができないなら
「わかった」と言いません

当然ながら、
ひとりでできることは人に説明もできます。

さて、「わかる」という言葉も
「考える」という言葉と同様に、
いろんな言い方をすることができます。

もう少し別の表現をすると

わかるとは、矛盾がなくなることであり、
わかるとは、解る(とける=溶ける)ことであり、分けることです。

もっというと、
「わかる」というのは、
溶けているものを分けられるということ。

だから、「わからない」というのは、
溶け切っているということ
です。


全体に溶けているものの中身(要素)と
繋がり(相関性)を明らかにすることで
分けられるようになること

わかるというのだと僕は理解しています。

先ほど、
ひとりできることは説明できることと
書きましたが、おそらくすっと理解できない人も
いるのではないでしょうか。


「え?説明はできないでしょ」

と思うかもしれません。

しかし、説明するということは、
短く端的にと言うわけではありません。
実際にやってみて説明できれば良いわけですから、
全てを言語化する必要はありません。

言葉が難しければ、絵にしたり、
見せたりすれば良いのです。
できると言うことは、
人にやって見せることもできる
のですから。


どうでしょうか。

イメージできましたか?


僕はイメージできるかどうかが
わかるかどうかにかかっている、
と思っています。

ですから、
イメージできるかどうかを常に自分自身で
確認して欲しい
んです。


こういう記事でも、よく
「イメージできますか?」

みたいな問いを入れるのもそのためです。


イメージできないということは
わかってない
ということですから、
何がわかっていないのかを
自分で把握しなければいけません。


大学生の頃、パソコンショップで
バイトをしていたときに店長から、

「自分が何をわかっていて
 何がわかってないかを
 切り分けないとダメだよ」

なんて言われたことがありますが、
まさにこれはとても重要なことです。

多くの人はこれをやらずに、
なんとなくわかっている状態でいます。


ここを疎かにするからこそ、
つい「わかったふり」になるのです。


僕がこれまでいろんな人と仕事をしてきて
気づいたことがあります。

それはあっさりと「わかった」と言う人が
とても多い
、ということです。


それこそ先ほど書いたように、
「わかったつもり」になっているのです。

僕もすぐにわかったつもりに
なってしまいますから、
なかなか人にあれこれいう立場ではありません。

ですが、だからこそ気をつけたいと常々思っています。


あるあるネタを話している人たちの
「わかるわかるー!」
と言っている人の話をよくよく聞いてみると、
実際には全く別の話題について、
共感している、と言うことは多々あります。


以前も話をしたように、日本人は
ハイコンテキストな会話から、
なんとなく雰囲気を汲み取って
共感できるすごい人種
のようですが、

実際、わかっているかどうか、
と言う点においては、
かなり注意をしなければ、
何も伝わっていない、
なんて言うことは多々あるのです。


ちょっとした打ち合わせでも
「わかった」と言っている人に
もう一度内容を確認してみると、


こちらが意図していることについて、
全くわかっていない、
と言うことがよく起こっている
んです。


これは一度でも先輩という立場に立って
後輩を指導したことがある人は
実感のある話だと思います。


コミュニケーションミスとも言えるような
内容です。

仕事ではこれが頻発しているからこそ、
とても注意したい
のです。


だから僕は仕事において、
間違いがないようにするために、
3つの取り組みをしています。

1つは、相手が「わかった」と言ったあとに、
「本当に?」と言う問いかけをすること
1つは、相手が「わかった」と言ったあとに、
「簡単に説明してみて」と言うこと
1つは、後日相手にもう一度、確認すること


です。


この3つの取り組みは、
相手がわかっているかどうかを判断するときに、
びっくりするほど有効
です。


もちろん、
常にやっている取り組みというよりは、
「疑わしいな」と思うときや、
これがわかってないとトラブルになることが
明らかにわかっている時
の限定的な取り組みです。


「本当に?」という問いかけは、
相手がわかったふりをしていたことに
自覚してもらう良い機会を与えるもの
です。


多くの人は、僕も含めて、
ついついわかったふりをしますから、
なんとなく頭の中のイメージができたときに、
わかったと言ってしまう
のです。


しかしその精度は
人によってかなりばらつきがあります。


だからこそ、
「本当に?」という問いかけがとても有効です。


急に自信がなくなれば、
わかっていない可能性があります。


もしわかっていると答えるなら、
「では、説明してみて」といえば
相手がわかっている範囲をこちらも確認することができます。


もちろん、説明できるという行為は、
言語化を伴いますから、
どこまで精度よく説明できるかどうかは、
また別物ですが、1つの計測する良い手段です。


また後日、
相手にもう一度確認するという行為は、
相手がきちんとわかったかどうかを確認する
良い機会
です。

わかってなければ、それこそ時間が経てば、
すっかり頭から抜けてしまっていますから、
フォローするという意味でもとても重要な行為です。


こんな風に、
3つの取り組みは仕事をする上でも、
とても重要で大きなミスをしたくない時は
重宝します。

あんまりやりすぎるのは鬱陶しがられますから、
注意したいところですが:笑

とはいえ、
「わからない」のは決して
悪い状態ではありません。


自然状態(「本来の姿」)そのものです。

自然界に善悪判断をする人はいないと思います。
冬の次に春が来るのを見て、
「それはよくない」「愚かだ」
などという人を僕は見たことはありません。


だから、
わからないことは悪いことでも
なんでもないはずです。

では、なぜ、われわれは「わかる」ことを望むのでしょうか?
あるいは、なぜ「わからない」ことを恐れるのでしょうか?
また、なぜ「わからない人」を劣っていると思うのでしょうか?
われわれは「わかる」を通じて「何を見たい」のでしょうか?

これらはとても大事な問いですから、
ぜひ考えてみてください。


人は、自分が「わかっていること」の
内側でしか生きられない
ものです。


自分の「わかっていること」が
自分の限界とも言えます。

だから、わかっている範囲を広げることが、
自分の限界を広げることになります。


もし、自分が「わかっていること」の範囲に、
自分の本当の目的や本当に生きたい生き方が
あるなら実現可能
です。


ですが、そうではなく、
わからないことの中に、
自分が生きたい生き方があるなら、
それを明らかにしなければ、実現できないのです。

どうですか?


今あなたがやりたいこと
生きたい生き方は
明らかになっていますか?
矛盾なく、イメージができますか?
細かいところまで解像度高く分けられていますか?


そして、ひとりでできますか?


できるのであれば、
それは今すぐやるべきです。

だって、それがやりたいことなのですから。

もしやりたいこと、生きたい生き方の
イメージが湧いてないのであれば、
イメージできるようになるまで
さまざまな事象を分けて、
明らかにしていくことです。

そして、そのためにより正確に
「わかる」という単語を使い、
わからないものとわかるものを
きちんと切り分けておく必要があります。


わからないものをわかったと言ってしまうから、
できないものもできるように思い込んでいるのです。


それではできるわけがないのです。


「わかった」という言葉の精度が
自分のできる精度に直結します。

目次

「わかる」「わかった」と言いたくなるときに、頭でイメージしてみよう。

「わかる」とは、「ひとりでできる」ということです。
「わかる」とは、イメージ(想像)できることです。


ですから、まずはイメージできるかどうか、を
意識するところから始めてみてください。

もっといえば「人に説明できるか?」と
自分に問いを投げかけてみれば、
わかっているかどうかを
判断することができます。


その時、うまく説明する必要はないのです。

僕が「わかった」というときは、
イメージできたときに言います。

もし、イメージできない場合は、
わかったと言わないようにしています。

むしろ


「イメージできないので
 もうちょっと教えてください」

という言葉を変えて、
相手とコミュニケーションを取ろうとします。


そうやって、
イメージの解像度を上げる努力をすれば、
仕事でもよりスムーズにことが進んでいくはずです。


イメージの解像度を上げるために、
時には手を動かす必要もあるでしょう。
実際にやってみる必要もあります。


なぜなら、
やること(体験)の方がずっと
イメージの解像度を上げることできるから
です。

情報とは常に断片的なものです。



だからこそ、やってみる必要があります。
それこそが真実です。


多くの場合、わかったかどうかわからなけれど、
なんとなくわかった気になる、
なんてことは多いものです。


問題は、その状態に気づかずに、
わかったつもりでい続けること
です。


わかったつもりほど、
怪しいものはありませんから。


イメージできなければ
何がイメージできないか?を
ぜひ考えてみてください。


イメージの解像度を上げれば上げるほど、
できる精度も上がります。


なぜなら、わかったとは、
ひとりでできることですから。

今回は以上です。
ヒントになれば良いのですが。

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