真似たくなるような先輩になろう

こんにちは、内藤です。

「子供は親の真似をする」

という話をよく聞きます。

僕には娘が1人いるんですが、
きっと少しずつ大きくなっていくと
僕がしていることをどんどん真似を
するようになるんだろうなぁ、と感じています。

これは良いところも、悪いところも、です。

僕が尊敬する人がこんなことを言っていました。

「”親の顔を見てみたい”という言葉がありますが、
親の顔を見なくたって、子供を見れば、
その親がどんな親なのかがわかります。

なぜなら、子供は親を真似るから」

だそうです。

子供に向かって

「勉強しろ」

なんて言ったとしても、
親が日々、勉強をしていなければ、
子供が自主的に勉強することは
きっと多くないでしょうし、

子供に向かって

「本を読め」

なんて言ったとしても
親が日々、本を読んでいなければ、
子供が自主的に勉強することは
きっと多くないでしょう。

家でゴロゴロしている親を見かけたら、
きっと子供もゴロゴロするでしょうし、
親の箸の持ち方が下手であれば、
子供の箸の持ち方も上手になる、
ということは少ない気もします。

いわば、子供にとって、親の姿は
「解決策の提示」
です。

普段の在り方が、解決策の提示だと思うんです。

子供が都合が悪いことをやって、
親が怒っているのだとすれば、

子供は
「都合が悪いことをやられたら、怒ればいいのだ」
という解決策を真似るでしょうし、


子供の話を聞かずに、言いくるめている
親の姿を見たのであれば
「相手の話を聞かずに、言いくるめるのが得策だ」
という解決策を真似るのだと思うのです。

小さいうちは、親を見る機会が多いので、
親を見て、その解決策を真似ていくでしょうが、
ある程度、大きくなり、社会に出たら
それは、親以外の周囲の人間を見ていくことになるでしょう。

つまり、社会に出ても同じことで、
後輩ができ、先輩として仕事をするようになったとすれば、
後輩が真似をしたくなるような先輩でいられないと、
きっと後輩は素晴らしくあれない
、かもしれません。

大学生のとき、イベント設営のアルバイトをやっていた時に、
先輩が足で、空の荷台を移動させていたのを見て、
何も考えずに、僕もとっさに同じことをしました。
(今思えば、雑ですね:苦笑)

その時に、先輩の上司である人が、その先輩に対して

「お前がそんなことをするから、
こいつが真似しただろ、丁寧に扱え」

なんて指導されているのを見て、

「あ、なるほど」

なんて思ったことがありました。

それ以降、僕は意識できる範囲で、
真似されるような先輩でいたい
なぁ
とよく思っています。

もちろん、良い意味で、ですね。

過去、僕が勤めていた会社では、
本当に真似したいな、と思う先輩ばかりで、
僕はいつも彼らから盗むことばかり考えていました。

電話対応がめちゃくちゃうまい先輩だったり、
打ち合わせで端的に伝えて、進行できる先輩だったり
根回しがうまい先輩だったり、
外回りの営業での対応がうまい先輩だったり、

今の僕は、以前勤めていた会社や
大学で出会ったきた先輩から
学んだことが多くあるなぁとよく思います。

こういうのは、
誰からか指導された、というよりは、
自分がそういう周囲を見て気づいて真似したい、
と思うから、変化するのだと思うんです。

よく

「こういう指導をされなかったから」

なんていう理由を述べる人がいたりしますが、
僕は周囲にそういう人がいなかったのかな
と感じることの方が多いんです。

最も人が成長するときは、
「真似したい」と思うとき

と僕は思っています。

言い換えれば、

「こういう人になりたいな」

です。

後輩を指導するポジションになることが
増える年齢になればなるほど、
僕は、どうすれば真似されるだろうか、
みたいなことをよく考えます。

僕はまだまだ至らない部分が多くて、
真似されて誇らしげになれることは
決して多くないと認識しているのですが、

できれば、口先だけ、ではなく、
真似される先輩でいれるように
背中で見せていきたい
ものです。

逆に言えば、先輩なのに、後輩に真似されないで、

「お前、後輩なんだから、こういうことをしろよ」

なんて言ってしまったり

「年齢的に、先輩なのに舐めてるなぁ」

なんて思ってしまう時点で、
おそらく、原因は自分にあると思うんです。

結局、後輩からしたら、
行動で示せてないかっこ悪い
真似もしたくない先輩
っていう認識でしょうから。

それはさすがに寂しいですよね。

自戒を込めて文章にしてみましたが、
日々気をつけたいものです。

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