視座は何からできているか?

どうも、内藤です。

今回の話は、
現実創造のメカニズムではなく、
考え方の話題に触れていきます。

これは問題が発生したときに、
どう捉えれば良いか、
というヒントになる
話です。

これがわかっていれば、
僕らが学ぶ理由も見えてくるでしょうし、
もっといえば、日々の生活で気をつけるべき
ポイントも見えてくると思います。

少し馴染みのない言葉を使いますが、
ぜひ今後よく意識するだろう話題になる
と思うので頭の片隅においてください。

では、本編にいきましょう。


視座という単語を聞いたことがありますか?

実は僕は元経営コンサルタントの先輩から
教えてもらうまで聞いたことはありませんでした。


ロジカル本には結構よく出てくる単語ですので
大事な概念ですし、何か問題が発生したら
これを意識しないと解決に向かえない
というものです。

とても大事な話題です。

とは言っても、
馴染みがないとピンとこないことも多いでしょう。


そこで今回この話題を
分解しながら解説します。

視座は物事の理解と
精神レベルによって決ま
ります。

一般的に「視座」とは、

「物事を眺め、それを把握するときの立場」
のこと

といった解説がされています。

また「視座が高い」というと、仕事なら
「今の自分よりも上の立場で物事を見る」ことが
できる状態を意味する
そうです。


こちらにわかりやすい図がある記事を
見つけましたので、参考までにどうぞ。

Mission Driven Brand
視座とは|視座の意味とあなたの視座を養う5つの方法 - Mission Driven Brand 外資系コンサルティング会社及び広告会社のキャリアを持つマーケティングの専門家が「視座の意味」「視座を変える方法」を解説。


「視座」と似た言葉で、
「視野」や「視点」があります。
一般的に、これらは以下のような違いがあるそうです。

視点:「どの観点で」物事を見るか/考えるか
視野:「どの範囲で」物事を見るか/考えるか
視座:「どの立場で」物事を見るか/考えるか


今回、視点や視野の話はしませんが、
視座について、ネットで語られている記事を
一通り読んでみましたが、どうも片手落ちだな
と思うものばかりでした。


僕の理解では、
視座とは、統治可能な立場のことを指します。


その範囲に入っているものであれば、
自分の中で統治可能
であり、
どんなことが起きていても、
例え何か問題が発生していたとしても、

どうすればその問題を解決し、
望むような方向に持っていくことができるか?を
理解しており、実行に移すことができる、
立場のこと
を指します。


ここまでは同じような印象を
持つのではないでしょうか。

さて、この視座は、次の2つからなります。
1つは物事の理解、もう1つ精神レベルです。


少し詳しく話をしていきましょう。


統治可能である、というのは、
つまり物事の理解が厳密にできているからこそ、
理屈でどうすれば良いか?がわかっている状態のことです。

問題が解決できる、ということは
その問題がどんな事象から起きていて、
どういう構造でそうなっているのか、
がわかっているからこそ、それをやれば良い、
というのがわかるんです。


例えば、自分がWEBサイトをデザインし
コーディングまでやったとして、
WEBサイトのロゴが表示されていない、
という問題が起きた時、
ロゴがなぜ表示されていないのか?がわかるのは、
そのWEBサイトについて理解している必要があります。


つまり、
html/css/javascriptで作られたとするなら、
そのコードで何が問題を生み出しているのか、
コーディングミスなのか、画像そのものなのか、
あるいはサーバー側に問題があるのか、
それがわかっていなければ、
問題自体を解決することはできません。

そういうイメージです。


何かトラブルが起きたときに、
対立構造が起きてしまった時、
どちらの意見も俯瞰できるほどの
理解を持ちあわせていなければ、
原因自体を見出すことはできません。


物事の理解、これが視座を構成する1つです。

これはネットの記事で書かれていることです。

もう1つ。
統治可能であるというのは物事の理解の他に、
精神レベルという別の軸が存在します。

これは精神性にまつわるもので、
もっと言い換えると受容性とも言っても良いでしょう。

例えば、自分が運営しているコミュニティ内で、
メンバー同士のいざこざがあったとします。

仮に物事の理解が進んでいて、
いざこざの原因もわかっていたとします。

ですが、その問題に対して、
自分自身が受け入れ難いようなもの
だったらどうでしょうか。

そうですねぇ。

例えば、あるひとはコメントはするけど、
一見、ドラスティックな物言いで、
絵文字も使わずに事実を淡々と述べていて、
まるでクレーマーみたいな感じだったとしましょう。


そういう人が、どうにも自分には受け入れがたく、
自分は責められているように感じているし、
人を責めているようにも見える、
という状態だとしましょう。

その一方で、もう一人は共感力も高そうで、
よく絵文字とかを使っていて、
人当たりが良さそうだけれど、
もう一人の人とは相性が悪い、という状況です。

原因は、クレーマーみたいな人にあるようで、
その人がもっと気を使って
コメントをすれば良いのに、
なかなかそうしてくれず、
今回たまたまトラブルにまで発展してしまった、
という状況
だったとします。


さて、どうしましょうか。

これらをきちんと解決にまで導けるのが、
精神レベルの高さ
です。

こういう人間関係や何かの事象というのは、
物事を詳しく理解していたとしても、
精神的に受け入れ難い、
といったことはよくあることです。

昨今は、都合の悪いものは見たくないから
ブロックする、という発想に至る人が多い
ですよね。
(必ずしも精神レベルが低いとはいえませんが)

「正論が良いとは限らない」
とよくいったものですが、
トラブルが起きるかどうかというのは、
物事の不理解の他に精神レベルの低さから
生まれるトラブルもあります。


ですから、
相手がどんなに正しいことを言っていたとしても、
受け入れ難いことは人間なら多いでしょうし、
それによって大きなトラブルに発展することもあります。


トラブルが起きて、収束できないのであれば、
それは統治できていませんよね。


先程の例でいえば、

責められているという感覚は、
自分で作り出しているということを知らない、
という物事の不理解からきているのもありますし、
単に相手がそういう人に見えてそれが許せない、
という精神レベルの低さからくる
もの
です。


うまくトラブルを回避できたり、
円満に人間関係を構築し、
問題を解決できる人というのは

精神レベルが高く、どうすれば関係する相手が
気持ちよく納得してくれるのか?
という精神面でとても高い状態を作り出せているといえます。
 

よくよく話を聞けば、
単にドラスティックな人は、
絵文字を書くのが苦手だとか
そういう理由で使ってないだけで、
そのコミュニティには
もっと良くなって欲しいから、
アドバイスをしているだけ、かもしれません。


にもかかわらず、それを受け入れられない、
つまり、自分の中でそういう人を
排除したがってしまうような精神レベルである

ということです。


わざわざ排除しなくても
味方につけられるような精神レベルを
持ち合わせているのであれば、
統治可能なこと
かもしれません。


精神レベルが低いがために
とりうる行動が変わってしまう、
なんてこともあり得るのです。

ネットでよく語られるのは、
物事の理解の方であり、
精神レベルについて触れられることは
ほとんどありません。

統治する立場であるなら
統治できるだけの物事の理解と
精神性を兼ね備えていなければ、
統治できない、と僕は理解しています。

だから、
この2つの軸が揃ってはじめて、
その立場に立てる
と思うのです。


さて、
まだイメージしづらいと思いますので、
もう少し話を進めていきます。

例えば、社長の視座に立つには、
社長に一度なってみて、経験してみるしかありません。


もちろん、「立とうとすること」はできます。

その視座に至れるかどうかは、
物事の理解と精神レベルによって異なります。


ですから、それこそその人次第ですが、
立とうと思うだけなら、
ある会社の社長になったつもりで、
何かプロジェクトを考えてみたり、
実行してみたり、
経営を想定してみたりすれば良いのです。


それで、
自在に起きうる問題を解決できるのであれば、
それはもう社長の視座に立てています。


これは別の視座でも同じことです。
例えば、
投資家の視座に立とうと思うのであれば、
一度、投資家になり、
経験してみるしかありません。

そして実際に投資をしてみて、
狙い通りに投資効果を得られるのであれば、
投資家の視座に立てている
といえます。


ここで重要なのは、
物事の理解と精神レベルがそれぞれ存在する
という点です。


例えば、社長であれば、
社長に求められる
物事の理解と精神レベルは存在しますし、
投資家に求められる
物事の理解と精神レベルは存在します。

これは実際に
社長になれるかどうか、
投資家になれるかどうか、
ということではなく、
社長になったとして、
問題なく経営ができるかどうか、

投資家になったとして、
問題なく投資ができるかどうか、

という点です。


投資家になったとしても
利益が出ている時は良いですが、
どんどん損が膨れていっているときに、
適切な損切りができず
戦略通りに動けないのであれば、
それは投資家という精神レベルに
至っていない
と理解いただければ大丈夫です。


今の時代、会社の社長になるのは簡単です。
投資家になるのも簡単です。

社長になるには法人化すれば良いわけですし、
それなりに手続きは大変でしょうが、
今の時代お金もそんなに必要ではありません。

これは投資家でも同じでしょう。

個人投資家が増えた今の時代、
株式投資は素人でも始められる
ちょっとした副業でやってる人もいます。


ですが、重要なのはその立場になって、
きちんと物事を成していけるかどうか

という部分です。


その視座に至れたかどうかは、
その視座より下の次元を統治できるかどうか、
で測ることができます。


残念ながら、社長の座にいるにもかかわらず、
社長の視座を持ち合わせていない人も
多いと言われます。


つまり、経営が何かもわからずに、
先代の経営が良かったから
なんとか持ち堪えているけれど、
実際、自分は時代の流れに
どう乗れば良いかもわからず、
どういう風に経営すれば良いかもわからない、
という中小企業の社長さんは多いそう
です。


Youtubeで見つけた、ある動画では、
貸借対照表(バランスシート)すら
よくわかっていない中小企業の社長さんは
とても多い
、と言われているほどです。


それでは、社内で起きる問題を狙って
解決することもできず、もっといえば、
望み通りに会社を経営していくことも
できないでしょう。


この時に社長に必要になるのは、
経営とは何か?ビジネスとは何か、
という物事の理解

今社内にいる社員の動き方に対して、
受容できる精神レベル
です。


ビジネスや経営について、
ものすごく詳しかったとしても、
従業員の動き方が気に入らなかったり、
感情的に受け入れられないのであれば、
それはまだその視座に至っているわけでは
ありません。


とはいえ、
ビジネスや経営について理解があれば、
ワンマン経営はできる
でしょうから、
従業員がやめる可能性を持ったまま、
あるいは何か大きなトラブルが起きる可能性
秘めたまま、経営が実行され、
利益が上がっていく、
ということもよくあります。


物事の理解というのは、
男性性そのもの
ですから、
それだけで押し進めてしまうと、
会社の内側にいる従業員に
負担がかかり過ぎてしまいます。


中央集権型の組織になり、
もっといえば、
指示通りにしか動かない人ばかりを
生み出してしまう可能性もあります。
あるいは、優秀な中間管理職の人を
潰してしまう可能性すらあるでしょう。


一方で、精神レベルというのは女性性ですから、
どれだけその場にいる人たちを受容でき、
その人たちの希望を汲み取れるか?と
言ったものになります。

とはいえ、精神レベルの高さだけでは
今の資本主義社会の枠組みで
ビジネスを回していくことは無理です。

全てが抽象的で、ロジカルがないものであれば、
成果を求められるビジネスにおいて、
社会から簡単に一掃されてしまう
でしょう。

しかし、従業員の意見を汲み取ったり、
結果ではなく仕事のプロセスを
きちんと評価していく、
彼らを自発的に促していくというのは
精神レベルの高さがなければ、
機能しない
ものです。


物事の理解、精神レベル、
この2つが適切に機能するからこそ、
その下の次元で起きている
問題を自在に解決に向かわせることができるようになる
でしょう。


さて、ここまでで
なんとなく概要は捉えられたでしょうか。


かの有名なアインシュタインは

「問題はそれをつくり出したときと
同じレベルの考え方で解決することはできない」

という名言を残しています。

名言通り、問題を解決しようと思うなら、
1つ以上、上の視座に自分が立たなければ、
問題を解決することはできません。


ある目的地に向かおうとしていて、
目の前のT字路で
右へ行くべきか、左へ行くべきか、
迷っていたとします。

もしあなたが、地図を持っていて、
俯瞰して現在地と目的地を捉えることが
できるのであれば、
目の前のT字路で左右どちらに行けば良いか?は
見えてきますよね。

地面に立った場所から考えていては、
答えは辿り着けないのです。


であれば、地図を表示して、
1つ上の視座でみることができれば、
解決できます。


これはどんなことでも同じです。

最後に、もうちょっとだけ
イメージしやすい話をしましょうか。

もしあなたがこれから副業で
お金を稼ぎたいと思っていたとします。

あるいは、スキルアップして、
デザイナーとして独立して
生計を立てていきたいと思っていたとします。


解決できない問題があるのであれば、
1つ以上の視座で物事を捉える必要があります。

つまり、
今あなたは消費者の立場で考えているなら、
副業したり、独立したりといった、
サービスを提供する側にはなれません。


なぜならサービス提供側は
消費者よりも1つ上の視座ですから。


一部ですが、簡単に視座の次元を書くと
こうなっています。


消費者(学習者)<消費者(労働者)<経営者(サービス提供者)


だから、消費者であれば、
サービス提供側の物事の理解が必要になってくるんです。


副業はサービス提供側とはいえ、
労働者の部類ですから、
副業で起きる問題は、サービス提供者
つまり経営者の立場にならないと
解決できない問題
です。


つまり、副業であれば、
・どうすれば副業として
 お金を稼ぐことができるのか?
・どんな仕事をするのか?
・仕事はどうやって受注するのか?
・値段はいくらで受けるべきか?
・どれくらいで自分は仕事を終わらせられるのか?
・自分のスキルはどの程度なのか?

などなど

といった具合に、
物事の理解が深まっていなければ、
副業としてお金を稼ぐことはできない
でしょう。

たまたま問題が解決したとしても
それは偶然そうなったのであった、
統治できているわけではないため
次起きた時に解決できません。

多くの人は物事の理解が必要だと
なんとなく知っているから、
副業について勉強したり、
コミュニティに入ったりするものです。


これはフリーランスでも同じです。
もちろん、副業よりも
ずっと物事の理解が深くなければ、
生計を立てていくのは難しい
ものです。


しかし、
一度でも独立したことがある人であれば、
難易度は低いものです。

もちろん、継続的に仕事が取る方法が
わかっていなければ、結局は、
継続的にフリーランスでいることはできません。
その視座に至れていないとも言えるでしょう。


同時に、仕事をする上では
人間関係は必須で避けて通ることはできません。

ですから、
同時に精神レベルも必要になってくるのです。

・自分にとって苦手な相手が
 目の前に来た時に、どう対応するのか?
・クライアントの無理難題な要求に対して、
 自分がどう振る舞うのか?


そういったことは、
頭でどんなにわかっているつもりでも、
感情的にどうにもならないことはよくあること
です。

この感情的にどうにもならない時にこそ、
精神レベルは問われます。

だから僕らに
何か乗り越えたい問題が発生した時は、
1つ以上の上の視座で物事を見つつ、
精神的に受容できる器が必要
です。


僕らには勉強が必要ですし、
体験から理解を深めていく必要がありますし、
同時に精神的にも成長していく必要があります。

無知では、決してうまくいきません。

目次

視座に立とうとしよう

まずは立とうすることが大事です。
多くの場合、自分からその立場に
立とうとすることはありません。


多くは、外部要因でそうなります。

・会社にいて、課長に役職が上がったとか
・プレゼンをしろと言われて、
 プレゼンターになるとか
・誰かに言われて、デザインを始めるとか

もちろん、それがきっかけで
その立場に立つことになるわけですから、
それはそれで良いこと
です。

ですが、普段から視座に立とうと思うことの方が
僕はずっと大事
だと思っています。

例えば、
フリーランスのデザイナーにならなくたって、
その立場で物事を考える癖をつければ、
フリーランスのデザイナーの視座で
ものを見れるようになってきます。


その想像がリアリティがあればあるほど、
精神レベルも上がっていくものです。


・twitterで発言した時に、
 クレーマーがいた時にどう対処するか
・クライアントから苦情が入った時に、
 どう対応するのか?
・横暴な苦手なお客さんが目の前に来た時に
 どう対応するのか?


こういうものは経験すればするほど、
柔軟に対応できるわけですが、
普段の生活に置き換えて、
捉えるだけでも違うのです。

ネット上には様々な情報があり、
プロのデザイナーも発言していますし、
なんなら、仕事をしていなくても、
横暴な苦手な人が目の前に来ることだって
日々の生活で起きないとも限りません。

そういう時に、逃げてばかりいると、
実際、仕事の時にどうすれば良いかわからない、
なんてことになってしまいますが、
日々の生活で似たようなこととして
捉えているなら、仕事になった時も
困らずに対応できるものです。

だからこそ、
その視座に立とうとする意識がとても重要です。


会社員時代に上司に言われたことがあります。

それは
「1つ2つ上の役職の仕事ができるように、
 日々過ごしなさい」

でした。


これはまさに視座を高める良い方法です。
これは意識1つでできることですから、
とてもおすすめです。

今回は以上です。
ヒントになれば良いのですが。

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